前回、鬼滅の刃に登場する鬼達の背景から、福祉が届かなかった場合に起きる社会的孤立とその果てについて書きました。
鬼滅の刃にみる福祉のあり方~【施設長の独り言シリーズ(障害者施設)】~
今回はその逆で福祉的な支えが届き、鬼にならずに済んだ人々の物語に目を向けてみたいと思います。
福祉が届かなかった末に鬼になってしまう人々がいた中で、同じような苦しみを抱えながらも鬼にならず、人を守る側に立った人々もいます。
それが
「鬼殺隊」です。
鬼殺隊とは、鬼によって家族や村を襲われた人々が集まり、
鬼から人々を守るために戦う民間の組織です。
中でも最強の剣士たちは
「柱」と呼ばれます。
彼らはまさに、組織の柱であり、人の命を守るために前線に立ち続ける存在です。
しかし、その「柱」たちもまた、鬼にされた者たちと同じように、
決して平穏な道を歩んできたわけではありません。
それでも彼らが
“鬼”ではなく
“柱”になれたのは、支えてくれた誰かの存在、受け入れてくれる場所、信じられる仲間の存在があったからこそなのです。
母の死で父が心を閉ざし弟の面倒を見ながら一人で剣術を磨いていた煉獄杏寿郎(レンゴクキョウジュロウ)。
鬼になった母に家族を殺され、自らの手で母にとどめを刺さざるを得なかった不死川実弥(シナズガワサネミ)。
盲目の身でありながら寺で孤児を育てていたけど誤解により子どもたちを失い無実の罪を着せられた悲鳴嶼行冥(ヒメジマギョウメイ)。
忍びの家計に生まれ、兄弟同士が殺しあうような教育を受けながらも、そんな生活に嫌気がさし、自分らしく生きるために家を飛び出した宇髄天元(ウズイテンゲン)。
彼ら「柱」たちは皆、どこかで孤独や痛みを抱えていたはずです。
経歴をみると鬼になった人々と同じように鬼になる可能性もありました。
けれど、自分を見てくれる誰かがいて、共に生きる場所があり、役割を持てる関係性があった。
これは、福祉の目指す姿そのものではないでしょうか。
もし鬼たちの人生にも、彼らのような
「つながり」があったら、もし誰かの支えや温かいまなざしが、ほんの少しでも届いていたら、鬼ではなく柱になれた人もいたかもしれません。
「誰かに必要とされる」「役割を持てる」「安心していられる場所がある」ということが、人が人として生きるためには重要な事なのではないでしょうか。
福祉の現場でも同じです。
すべての人が、困難を抱えながらも、鬼にならずに生きていける社会をつくること。
それこそが、私たちの役割です。
福祉とは「困った人を助ける仕事」ではなく、「その人がその人らしく生きられる場を一緒に作ること」だと、自分は思っています。
一人ひとりの苦しみや困りに目を向け、そこから逃げ出さなくてもいいように支える。
誰かの柱になるわけではなくても、柱を支える土台のような存在になれるはずです。
社会福祉法人ひふみ会の“福祉バカ柱”として、今日も自分はそんな社会の土台を耕していきたいと思っています。